Page 80 - My FlipBook
P. 80
「わたしたちの行った義のわざによってではなく、ただ神のあわ
れみによって、再生の洗いを受け、聖霊により新たにされて、わたし
たちは救われたのである。この聖霊は、わたしたちの主イエス・キリ
ストをとおして、わたしたちの上に豊かに注がれた。これは、わたした
ちが、キリストの恵みによって義とされ、永遠のいのちを望むことに
よって、御国をつぐ者となるためである」。

祭壇のおおいとして後で貼られた、魚のうろこのような模様の青
銅の板がありました。民数記16章には、モーセの従兄弟であったコ
ラ、ダタン、アビラムに加わった250名のつかさたちが反逆した事件
が書かれています。神様は、彼らを地に飲み込ませて裁きを行われ
た後、彼らが聖所の儀式に用いていた青銅の火ざらを集め、これを
広い延べ板として祭壇の覆いを創るように命じられました。これは、
このような反逆の精神を、祭壇の所に置いてこなければならないこと
を表していました。私たちは、聖霊の恵みと、神様のみ言葉の力によ
って、洗盤で神様への反逆心を洗い清めなければなりません。真理
の教えによって、清く洗われなければなりません。そうする時初めて、
私たちはキリストと共に、聖化の道を歩む準備ができたのです。

儀式律法の中に表された、洗いと注ぎは、すべて象徴的な教訓で
した。それは、違反と罪によって死んでいた魂を清めるために、心の
奥底を洗って新しくされる経験が必要であること、聖霊の清めの力
の必要性を教えるものでした。

赦しというのは、多くの人が考えているよりも、さらに広い意味を
持っています。神様の赦しは、単に私たちを罪の宣告から免れさせる
法的行為であるだけではありません。それは罪を赦すだけでなく、罪
から完全に救うことです。そのように人の心を創り変えるものは、神

80 │ 聖所‐福音の道しるべ
   75   76   77   78   79   80   81   82   83   84   85