Page 92 - RememberMe!
P. 92
ておられます。これらの御言葉を読めば、安息日が神にとってどれ
ほど重要で、永遠の安息に入るべき私たちにとっても、どれほど不
可欠なことかが分かってきます。このような背景を踏まえて初めて、
私たちは、神がなぜ第7日安息日に、これほどの関心を注がれるの
かを理解することができるのです。

4 「そこで、その安息(κατ παυσεν)にはいる機会が、人々
になお残されているのであり、しかも、初めに福音を伝えら
れた人々は、不従順のゆえに、はいることをしなかったので
あるから、神は、あらためて、ある日を「きょう」として定め、
長く時がたってから、さきに引用したとおり、『きょう、み声
を聞いたなら、あなたがたの心を、かたくなにしてはいけな
い』とダビデをとおして言われたのである。もしヨシュアが
彼らを休ませていたとすれば、神はあとになって、ほかの日
のことについて語られたはずはない」(4:6~8)。

服従しないイスラエルの民と、神が創造の時から備えておられる
安息を拒む人々は、その安息に入ることができなかったので、安息
に入る機会がまだ残されているとの神の約束と、その安息に入るべ
き者たちとが、残っているのです。パウロはここで、読者の心に生じ
る一つの疑問に答えています。つまり、モ-セは安息を与えることが
できなかったけれども、ヨシュアは民を導いてカナンに入ったでは
ないか、という疑問です。しかし彼らは、カナンに入っても偶像崇拝

92 Remember me!
   87   88   89   90   91   92   93   94   95   96   97