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用いられなければなりませんでした。この火は、聖所の儀式が始ま
る時、神様が天から降らせたものであり、決して絶やしてはならない
ものでした。そのような、神聖な火を香壇で用いなければなりません
でした。この聖なる火は、人類への神様の愛を表していて、これがな
ければ、カルバリーの贖いの犠牲と、執り成しの祈りは不可能になる
のでした。私たちを救うために、神様の愛の心から注ぎ出されたこ
の聖なる火、その熱烈な愛に、私たちはどうやって感謝したらよいの
でしょうか!

燔祭の壇で捧げられた罪祭によって、罪人は赦され、贖いを受け
る準備が整えられましたが、祭司がその血を聖所に持って入り、垂
れ幕の前に七たび注ぎ、その告白された罪のために、執り成しの祈り
を香壇の前で捧げるまでは、実際には贖罪は完了したのではありま
せんでした。(レビ記4:26,35;5:10,16;6:7参照)。同様
に、主が十字架で死なれた時、私たちの贖いのための準備は完全に
整えられましたが、それで贖いが終わり完成されたのではありません
でした。

イエス様は復活され昇天された後、天の聖所に入り、私たちの罪
のために天父のみ前に出られました。イエス様の執り成しの祈りが
捧げられなければ、十字架の犠牲はその効力を失ってしまうのです。
それゆえ、天の聖所で人々のために捧げられるキリストの執り成し
は、救いの計画における十字架上のイエス様の死と同じように、救
いの計画において重要なものなのです。イエス様は、ご自分の死に
よって開始された働きを、復活後、天において完成されるために昇天
されたのです。

地上の聖所では、祭司職は代々受け継がれてきました。人間であ

98 │ 聖所‐福音の道しるべ
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