Page 120 - My FlipBook
P. 120
ることを望まれました。大贖罪日に清めの働きを宣布し、その重要性
を説明する祭司たちが、まず罪から清められる経験をしなければなり
ませんでした。そうでなければ、彼らはどうやって大贖罪日の意義を、
人々に教えることが出来るでしょうか。大贖罪日に、祭司たちがまず
体を洗い、先に、聖なる亜麻布の服に着替えなければならなかったよ
うに、現代においても、教会指導者たちが、真実にあがなわれる経験
を持ち、それから教会のあがないの働きが行われるべきなのです。

いつの時代も、教会のリバイバルと改革は、指導者たちの態度に
かかっていました。大贖罪日の清めの働きも同じです。イエス様の
再臨が遅れています。罪悪の歴史が終結し、地球全体があがなわれ
る日が、長く延びています。ここまで主を至聖所にとどめている理由
を、私たちははっきりと知らなければなりません。

大祭司は、一年の最後の日である大贖罪日に、まず自分自身と自
分の家族のために、雄牛を罪祭の供え物としてほふり、その血を持
って至聖所に入り、恵みの座の上とその前に七度注ぎました。彼は、
完全に罪の赦しを受け、清めを受けた後に、イスラエルの民のため
に贖罪の働きにつくことが出来ました。ここで留意すべき点は、大贖
罪日であっても、通常の日ごとの犠牲が捧げられていたことです。イ
スラエルの民の中に、告白されず、赦しを受けていない罪がまだ残
っていた場合のために、雄牛を罪祭として捧げるようになっていまし
た。ということは、大祭司が、主のためのくじに当たった雄山羊を、
罪の除去のためにほふるまでは、イスラエルには、赦される希望が
残っていたということです。

現在も、主は香炉を持って神様のみ座の前で、私たちの罪のため
に最後の嘆願(弁護)をしておられます。最終の執り成しの祈りを

120 │ 聖所‐福音の道しるべ
   115   116   117   118   119   120   121   122   123   124   125