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ちは資格を審査される必要があります。
また、マタイによる福音書13章の、あらゆる種類の魚を囲み入れ

る網のたとえでも、世の終わりには、良い魚と悪い魚が分けられるこ
とが教えられています。さらに、麦と毒麦のたとえでも、世の終わり
に、良い麦と毒麦は選別されて、救われる人とそうでない人が、その
時、明らかにされることが教えられています。

これは、全体的に見たものですが、私たちの個人的な宗教経験に
は段階があります。ある人は、聖所の外庭の経験をして、聖所の経験
へ入っているかもしれませんし、ある人は、まだ、外庭の経験さえし
ていないかもしれません。あるいは、長い間教会に通っていたとして
も、聖所の外庭にさえ一度も入ったことがない人もあり得るのです。
その意味で私たちは、自分の信仰をよく吟味する必要があります。

*私の魂の聖所では、日ごとに罪からの清めが進行しているだろ
うか?

*私は真に罪への勝利を経験しているだろうか?
*私は聖霊の力を日々体験し、罪から離れているだろうか?

私たちは今、私たちの心の奥底にあるすべての罪が断ち切られな
ければならない、清めの時に生きているのです。

1、大贖罪日と救いの関係

ある人は驚かれるかもしれませんが、神様のみ言葉が教えている
救いとは、常に条件付きのものです。よく知られている、「御子を信
じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得る」(ヨハネ3:16)と

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