Page 124 - My FlipBook
P. 124
いう聖句も、まず、「信じる」という条件が先になければなりません。
同じように、赦しも条件付きです。聖書は「もし、わたしたちが自分の
罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪を
ゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめてくださる」(Ⅰヨハネ
1:9)と言います。「罪を告白する」という条件のもとに、赦しが与
えられるのです。
イエス様は十字架の上で、人類全体を義として救いを与えられた
わけではありません。人類全体が救われるために必要な、すべての
物を提供され、赦しを保証して下さったのです。しかし、それが実際
にその人のものとなるためには、人間の側からもやるべきことがあり
ます。まず、罪を真心から悔い改めて捨てなければならず、信仰の手
を伸ばして、神様の賜物を受け取らなければなりません。
十字架で、全人類の救いは完成したという主張は、主に釘を打っ
たローマの兵士たちを、罪祭を捧げた祭司たちであると言うのと同
じようなものです。血を流すことも大切ですが、血をたずさえて神様
のみ座の前に行き、執り成しの祈りを捧げること(仲保の働き)、調
査審判の働きすることも、あがないの計画においては絶対に必要な
務めでした。
聖書は、「もし、わたしたちが彼の戒めを守るならば、それによって
彼を知っていることを悟るのである。『彼を知っている』と言いなが
ら、その戒めを守らない者は、偽り者であって、真理はその人のうち
にない。しかし、彼の御言を守る者があれば、その人のうちに、神の
愛が真に全うされるのである。それによって、わたしたちが彼にある
ことを知るのである」(Ⅰヨハネ2:3~5)と、教えています。
神様のあがないの恵みは、罪人を変え、神様のみ旨に従って生き
124 │ 聖所‐福音の道しるべ
同じように、赦しも条件付きです。聖書は「もし、わたしたちが自分の
罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪を
ゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめてくださる」(Ⅰヨハネ
1:9)と言います。「罪を告白する」という条件のもとに、赦しが与
えられるのです。
イエス様は十字架の上で、人類全体を義として救いを与えられた
わけではありません。人類全体が救われるために必要な、すべての
物を提供され、赦しを保証して下さったのです。しかし、それが実際
にその人のものとなるためには、人間の側からもやるべきことがあり
ます。まず、罪を真心から悔い改めて捨てなければならず、信仰の手
を伸ばして、神様の賜物を受け取らなければなりません。
十字架で、全人類の救いは完成したという主張は、主に釘を打っ
たローマの兵士たちを、罪祭を捧げた祭司たちであると言うのと同
じようなものです。血を流すことも大切ですが、血をたずさえて神様
のみ座の前に行き、執り成しの祈りを捧げること(仲保の働き)、調
査審判の働きすることも、あがないの計画においては絶対に必要な
務めでした。
聖書は、「もし、わたしたちが彼の戒めを守るならば、それによって
彼を知っていることを悟るのである。『彼を知っている』と言いなが
ら、その戒めを守らない者は、偽り者であって、真理はその人のうち
にない。しかし、彼の御言を守る者があれば、その人のうちに、神の
愛が真に全うされるのである。それによって、わたしたちが彼にある
ことを知るのである」(Ⅰヨハネ2:3~5)と、教えています。
神様のあがないの恵みは、罪人を変え、神様のみ旨に従って生き
124 │ 聖所‐福音の道しるべ