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るようにします。福音は、「救を得させる神の力」です。神様が私たち
を救われる時には、私たちに神様の子として歩む力も与えて下さる
のです。そして、救いの経験が、神様を信じる者たちをどのように変
え、実を結んだかを調査し、彼らが本当に神の子とされたかどうか
が全宇宙の前で明らかにされるのです。

先ほど取り上げた、マタイによる福音書22章の、婚宴の礼服のた
とえ話は、このことをよく説明しています。そこでは、婚宴に招かれ、
婚礼の席についている者だけが礼服を着ているかどうか調べられ
ました。同じように、キリストの血に頼り、聖所に入った者だけが、
調査審判を経験します。神様を信じると公言している人たちの信仰
が、真実なものであるかどうかが、評価されます。信じなかった人や、
信じたけれども、後で拒んだ人たちは、すでにその不信仰のゆえに、
罪に定められているのです。

2、大贖罪日に行うべきこと

イスラエルの民は、日ごとに捧げる犠牲により、罪の赦しを受け
ることができましたが、最終的に、年の終わりの大贖罪日に、すべて
の罪から完全に清められる必要がありました。その理由は、罪を本
当に悔い改めて、二度と悪に陥ることのない状態になってはじめて、
永遠に生きることが出来るからでした。犠牲制度の大贖罪日の経験
は、最終時代における、教会の霊的な経験と、神様の最後の審判の
過程を象徴していました。

A、身を悩ます経験
レビ記16章29節から34節には、調査審判をあらわす大贖罪日に

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