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に神様のふところにいるべき者です。神様が、どうして私たちを忘れ
られるでしょうか!「主は牧者のようにその群れを養い、そのかいな
に小羊をいだき、そのふところに入れて携えゆき、乳を飲ませている
ものをやさしく導かれる」(イザヤ40:11)。
しかし、さらに知っておくべきことがあります。イエス様が弟子たち
と一緒に、最後の晩餐の席につかれた時、愛された弟子ヨハネは、
イエス様の左側で、やや傾いて食卓につく彼らの習慣によって、頭を
イエス様の胸に寄りかからせていました。その時イエス様が「あな
たがたのうちのひとりがわたしを裏切ろうとしている」と言われまし
た。ペテロの合図を受けたヨハネが、イエス様に「イエスの胸により
かかって、『主よ、だれのことですか?』」(ヨハネ13:25)とたずね
ながらイエス様を見上げました。するとイエス様は、人の心の奥底ま
でも見抜くような澄み切った目で、ヨハネを見つめられたのです。良
心が潔白でなければ、誰がその視線に耐えることが出来るでしょう
か。イエス様とそれほど身近にいて、嘘をついたり、作り話を言える
でしょうか。そのように、キリストの胸のうちにとどまる人は、いつも
清い心を持っていなければならないのです。
次に右のもも(肩)を与えることは、私たちが神様と和解をした後
では、私たちの生涯の全てが、神様の肩にかかっていて、これからは、
神様が私たちの全ての責任をとって下さることを象徴していました。
「ひとりのみどりごがわれわれのために生れた。ひとりの男の子がわ
れわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり」(イザヤ9:6)。
あなたは小さいころ、父親の肩に乗せられたことはないでしょう
か。その時、あなたはどれほど大きな安心感を持ったか、思い出して
みて下さい。私たちの生涯は、イエス様の肩の上にある事実を覚え
第4章 │ 53
られるでしょうか!「主は牧者のようにその群れを養い、そのかいな
に小羊をいだき、そのふところに入れて携えゆき、乳を飲ませている
ものをやさしく導かれる」(イザヤ40:11)。
しかし、さらに知っておくべきことがあります。イエス様が弟子たち
と一緒に、最後の晩餐の席につかれた時、愛された弟子ヨハネは、
イエス様の左側で、やや傾いて食卓につく彼らの習慣によって、頭を
イエス様の胸に寄りかからせていました。その時イエス様が「あな
たがたのうちのひとりがわたしを裏切ろうとしている」と言われまし
た。ペテロの合図を受けたヨハネが、イエス様に「イエスの胸により
かかって、『主よ、だれのことですか?』」(ヨハネ13:25)とたずね
ながらイエス様を見上げました。するとイエス様は、人の心の奥底ま
でも見抜くような澄み切った目で、ヨハネを見つめられたのです。良
心が潔白でなければ、誰がその視線に耐えることが出来るでしょう
か。イエス様とそれほど身近にいて、嘘をついたり、作り話を言える
でしょうか。そのように、キリストの胸のうちにとどまる人は、いつも
清い心を持っていなければならないのです。
次に右のもも(肩)を与えることは、私たちが神様と和解をした後
では、私たちの生涯の全てが、神様の肩にかかっていて、これからは、
神様が私たちの全ての責任をとって下さることを象徴していました。
「ひとりのみどりごがわれわれのために生れた。ひとりの男の子がわ
れわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり」(イザヤ9:6)。
あなたは小さいころ、父親の肩に乗せられたことはないでしょう
か。その時、あなたはどれほど大きな安心感を持ったか、思い出して
みて下さい。私たちの生涯は、イエス様の肩の上にある事実を覚え
第4章 │ 53