Page 54 - My FlipBook
P. 54
ましょう。
次に、供え物の中から、両頬が切り取られ、祭司に与えられまし

た。それは私たちが、神様に生涯を捧げて献身した後は、神様のご
品性で生きるべきであることを表していました。私たちは、片方の頬
を打たれるなら、他の頬をも向けてやりなさいという、主の教えを実
践するのです。「わたしを打つ者に、わたしの背をまかせ、わたしの
ひげを抜く者に、わたしのほおをまかせ、恥とつばきとを避けるため
に、顔をかくさなかった」(イザヤ50:6)。 

酬恩祭は、神様と和解する者のたどるべき道を、象徴を通して、具
体的に詳しく表したものでした。私たちに救いの奥義を、このように
分かりやすく、目に見える形で教えてくださった神様に、感謝と賛美
を捧げましょう。

4、罪を清める三つのもの

もうひとつ、学んでおくべきことがあります。それは聖所の外庭で、
罪を清めるために三つのものが用いられたことです。それは、血と火
と水でした。血は、罪をその根源である心の動機と思いを清め、火
は、罪を焼き尽くして清め、水は、罪の生涯と行いを洗い清めること
を意味しました。レビ記には、命がその血にあると教えています。血
液は、私たちの体内を循環し、各細胞に栄養と酸素を供給します。
また血液は、体内の老廃物を集め、体外に排出する助けをします。
神様の命と福音の力が臨む時、私たちの罪は取り除かれ、心は清め
られるのです。そのような意味でパウロは「永遠の聖霊によって、ご
自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、なおさら、
わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕え

54 │ 聖所‐福音の道しるべ
   49   50   51   52   53   54   55   56   57   58   59