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われています。それはどうしてでしょうか?子供が母親を信頼するの
は、そうするように教えられたからではなく、体験していくからです。
赤ちゃんが、母親のふところで安らかに乳を飲み、おむつを取り替え
られ、暑さや寒さから守られ、その優しい手を肌で感じながら成長し
ていくなら、母親を信頼するのは当然のことです。たとえ誰かから、
母親を信頼してはいけないと言われたとしても、生まれてからずっと
育てられてきたこの信頼心を失わせることはありません。母親に対
する子供の信頼心(信仰)は、愛の経験から自然に芽生えたものであ
って、強制や命令によるものではありません。

その意味で、子供は母親から信頼心をプレゼントされたと言って
よいでしょう。同じように、私たちの神様に対する信頼心(信仰)も、
私たちに対する神様の愛の体験から生じたもので、私たちへの神様
からの賜物(プレゼント)なのです。

そのような意味で、悔い改めもまた、神様が下さる賜物です。「イ
スラエルを悔い改めさせて(英文では、『悔い改めをもたらすため
に』となっている:筆者注)これに罪のゆるしを与えるために、この
イエスを導き手とし救主として、ご自身の右に上げられたのである」
(使徒行伝5:31)。イエス様は私たちに、悔い改めを賜物として与
えるためにこの地へ来られました。罪人が十字架を見上げる時、そ
のあまりにも大きな愛と犠牲を目の当たりにし、神様の真の品性を
悟り、彼はその場にひざまずいて、自分の弱さを告白し悔い改めるよ
うになるのです。十字架の犠牲の大きさを知れば知るほど、悔い改
めは深くなっていきます。十字架のみ業を通して、人は悔い改めるよ
うになるので、悔い改めもまた賜物なのです。

罪祭は、神様が罪人を赦すために、どのような代価を支払わなけ

58 │ 聖所‐福音の道しるべ
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