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ればいけないのかを見せることによって、人間が罪を憎み義を愛す
るように導かれる儀式です。言い換えれば、私たちに悔い改めを呼
び起こすために考案された儀式なのでした。

「もしイスラエルの全会衆があやまちを犯し、そのことが会衆の
目に隠れていても、主のいましめにそむいて、してはならないことの
一つをなして、とがを得たならば、その犯した罪が現れた時、会衆は
雄の子牛を罪祭としてささげなければならない。すなわちそれを会
見の幕屋の前に連れてきて、会衆の長老たちは、主の前でその子牛
の頭に手を置き、その子牛を主の前で、ほふらなければならない。そ
して、油注がれた祭司は、その子牛の血を会見の幕屋に携え入り、
祭司は指をその血に浸し、垂幕の前で主の前に七たび注がなけれ
ばならない。またその血を取って、会見の幕屋の中の主の前にある
祭壇の角に、それを塗らなければならない。その血の残りはことごと
く会見の幕屋の入口にある燔祭の祭壇のもとに注がなければなら
ない。またそのすべての脂肪を取って祭壇の上で焼かなければなら
ない。すなわち祭司は罪祭の雄牛にしたように、この雄牛にも、しな
ければならない。こうして、祭司が彼らのためにあがないをするなら
ば、彼らはゆるされるであろう。そして、彼はその雄牛を宿営の外に
携え出し、はじめの雄牛を焼き捨てたように、これを焼き捨てなけ
ればならない。これは会衆の罪祭である」(レビ4:13~21)。

4、脂肪を焼くこと

罪祭を捧げる時には、その犠牲の動物全部を焼くのではなく、脂
肪だけを焼くようになっていました。前章で学んだように、脂肪は罪
を象徴していて、詩篇37篇20節には「悪しき者は滅び、主の敵は

第4章 │ 59
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