Page 62 - My FlipBook
P. 62
のではなく、今や私のものとなりました。私はこうして聖所に入り、あ
なたの罪のために、いいえ、私自身の罪の赦しのために祈るのです。
いつくしみ深い神様は、私たちの罪をお赦し下さいます。私が祈って
いる間、あなたもここで、悔い改めの祈りを捧げて下さい」。

祭司はさらに続けて言います。「いつの日にか、神様はメシヤを送
られますが、罪のないその方が、私たちの罪を身代わりに背負い、こ
こにいる羊のように殺されことになるでしょう。彼の死と傷によって、
私たちは赦しと癒しを受けるのです。私たちは、今、その方を指し示
す儀式を行っているのです」(レビ記6:25~30参照)。

この話を聞いた罪人は、どれほど大きな感動を覚えることでしょ
う!罪人は、羊を殺す時、罪のない羊が自分の身代わりとして死ぬこ
とによって、罪が赦されることを学び、罪の結果の恐ろしさを感じて
いました。しかし今はさらに、祭司が自分の罪を背負うということを
知り、身震いしたことでしょう。

彼は涙ながらに、遠い昔、エデンの園でアダムが神様に叫んだよ
うに、こう叫んだことでしょう。「祭司様!私は私の犯した罪を憎みま
す。私を赦して下さい。神様に申し上げて下さい。私は、二度とこの
ような罪を犯したくありません。私は罪が憎いです。私は神様の律
法に喜んで従っていきます!」。罪人が、罪祭の意味を本当に悟った
のは、この時でした。罪祭は、罪人に自分の罪が赦されるために、ど
のような働きがなされるのかを、はっきりと印象づけたのです。

赦しとは、ただ神様が罪を見逃したり、忘れて下さるということで
はありません。神様は、罪人の罪を赦されますが、そのためには、イ
エス・キリストという、無限の代価が支払われなければなりませんで
した。

62 │ 聖所‐福音の道しるべ
   57   58   59   60   61   62   63   64   65   66   67