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ために罪となられました。天のお父様の愛から断ち切られること
を痛感して、イエス様の口から、次のような悲痛な叫びがあげら
れました。
「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。・・・もしできること
でしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」(マタ
イ26:38、39)。
イエス様は、天の栄光と権勢を捨てて、救おうとしていた者た
ちから軽蔑され拒絶され、最後には十字架上で苦しむために、罪
深いこの世界へおいでになりました。イエス様をそのようにさせ
たのは、永遠の犠牲的愛でした。このようなイエス様の愛は、い
つまでも、神秘であり奥義として残り続けることでしょう。
十字架上で、イエス様の命があれほど速やかに断たれたのは、
肉体の苦痛によるものではありませんでした。それは、この世の
罪悪の重さに押しつぶされ、天父の怒りを痛感されたからでし
た。天父の栄光と臨在がイエス様から離れ、暗黒の圧倒的な重
みに押しつぶされて絶望し、その青ざめた震える唇から、「わが
神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか?」とい
う苦痛の叫びが発せられたのです。
死の淵におられたイエス様は、激しい疑惑にも襲われました。
彼は、墓の向こうを見通すことが出来なくなられました。ご自分が
征服者として墓から出てこられることや、彼の犠牲が天父に受け入
れられるという、明るい希望は与えられませんでした。世の罪のお
ぞましさが、神のみ子の心に極限まで感じられました。そのような
暗黒の中で、イエス様が実感できたのは、罪に対する神様の激し
い怒りとその刑罰、すなわち永遠の滅亡という意識だけでした。
64 │ 聖所‐福音の道しるべ
を痛感して、イエス様の口から、次のような悲痛な叫びがあげら
れました。
「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。・・・もしできること
でしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」(マタ
イ26:38、39)。
イエス様は、天の栄光と権勢を捨てて、救おうとしていた者た
ちから軽蔑され拒絶され、最後には十字架上で苦しむために、罪
深いこの世界へおいでになりました。イエス様をそのようにさせ
たのは、永遠の犠牲的愛でした。このようなイエス様の愛は、い
つまでも、神秘であり奥義として残り続けることでしょう。
十字架上で、イエス様の命があれほど速やかに断たれたのは、
肉体の苦痛によるものではありませんでした。それは、この世の
罪悪の重さに押しつぶされ、天父の怒りを痛感されたからでし
た。天父の栄光と臨在がイエス様から離れ、暗黒の圧倒的な重
みに押しつぶされて絶望し、その青ざめた震える唇から、「わが
神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか?」とい
う苦痛の叫びが発せられたのです。
死の淵におられたイエス様は、激しい疑惑にも襲われました。
彼は、墓の向こうを見通すことが出来なくなられました。ご自分が
征服者として墓から出てこられることや、彼の犠牲が天父に受け入
れられるという、明るい希望は与えられませんでした。世の罪のお
ぞましさが、神のみ子の心に極限まで感じられました。そのような
暗黒の中で、イエス様が実感できたのは、罪に対する神様の激し
い怒りとその刑罰、すなわち永遠の滅亡という意識だけでした。
64 │ 聖所‐福音の道しるべ