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ないと考えています。キリストは神様の怒りを感じられましたが、苦
難の全過程を通して、天の神様が自分を愛しておられるという確証
を持っておられ、墓の入口は明るい希望で照らされ、将来ご自分が
受けられる栄光についての証拠を持っておられたと考えています。
それは大きなあやまりです。キリストの最も大きな苦痛は、罪に対す
る天父の不興、激しい怒りでした。その神様の不興のすさまじさを
感じられたキリストは、心臓が破裂するほど苦しまれたのです。人は
それについて、ほんのかすかな理解しか持つことが出来ません。

もしキリストの苦しみが、単に肉体的な苦痛だけであったならば、
彼の死は、他の殉教者たちの死以上のものではなかったでしょう。
苦しみながらも喜んで死んでいった殉教者の死と、キリストの死とは
何がどう違っていたのでしょうか。

実際、肉体的な苦痛は、神様の愛するみ子が味わわれた苦悩の、
ほんの一部に過ぎませんでした。世の罪が彼にのしかかり、犯され
た律法の刑罰を受けられた彼は、天父の怒りを痛感されました。罪
によって、神様と人間の間は引き裂かれましたが、その断絶の苦しみ
を、イエス様は深く、鋭く感じられました。彼は、暗黒の勢力によって
圧迫されました。未来を明るく照らす一筋の光も、彼には見えません
でした。

ああ、どれほど偉大で驚くべき愛でしょうか!イエス様は、私たち
の罪のために、永遠に滅亡したとしても、私たちを救う事さえでき
ればそのようにするという、死よりも強い愛をを表して下さったので
す。それこそまさしく、十字架が意味していることです。

読者の皆さん!皆さんは、このようなイエス・キリストに、皆さんの
心をすべて捧げましたか?そして、あらゆる罪を捨て去って、十字架

66 │ 聖所‐福音の道しるべ
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